金海市亀山洞(クサンドン)の丘の上の松林に、丸い墳丘がひとつ静かに座っています。首露王妃陵は、金官伽耶を建国した首露王の王妃許黄玉の墓と伝わる場所で、『三国遺事』には、彼女がインドのアユタ国の王女として海を渡ってきて王妃になったと記されています。古代の朝鮮半島と遠い海の向こうを結ぶこの物語のおかげで、小さな墓ながら訪れる人が絶えません。
『三国遺事』の「駕洛国記」によると、王妃の姓は許、名は黄玉で、16歳のときに船で渡ってきて、首露王と結婚しました。何人もの王子を産み、そのうち2人の息子には母の姓を継がせ、その子孫が今日まで許氏として続いているといいます。
墓は1963年に史跡に指定されました。朝鮮の世宗28年(1446)に、首露王陵とともに保護区域が広げられ、壬辰倭乱(文禄・慶長の役)のときに盗掘されたという記録があります。現在の陵碑と床石(祭祀用の石卓)は、仁祖25年(1647)に墓を整え直した際に建てられたものです。首露王陵に比べて施設が素朴で、内部を発掘したことはないため、構造は木棺墓か石槨墓(石で囲んだ墓)である可能性が高いとみられています。
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