統営(トンヨン)という都市の名前は、ここ統制営(トンジェヨン)に由来します。忠清・全羅・慶尚の三道の水軍を指揮した三道水軍統制使の本営で、1605年から1895年まで約300年にわたり南海を守った朝鮮水軍の総司令部でした。今は国宝洗兵館(セビョングァン)を中心に官衙の建物の一部が復元されており、統営沖を見下ろす丘の上から、朝鮮水軍の本営の規模を思い描けます。
統制使という職は、壬辰倭乱の翌年の1593年、全羅左水使の李舜臣(イ・スンシン)に三道の水軍をあわせて指揮させたことから生まれました。そのため、最初の統制営は李舜臣の閑山島(ハンサンド)陣営でした。戦後の1603年、第6代統制使の李慶濬(イ・ギョンジュン)が頭龍浦(トゥリョンポ)、つまり今の統営で敷地の造成を始め、1605年旧暦7月14日に洗兵館や白花堂(ペクァダン)などを建てました。略して呼ばれた「統営」が、そのまま都市の名前になりました。
統制営は、1895年に各道の兵営と水営が廃止されるまで、292年にわたって続きました。日本統治時代に洗兵館だけを残して100余棟の官衙の建物が取り壊され、その跡地には学校や裁判所、税務署などが建ちました。1975年に洗兵館周辺が整備され、1996年の地表調査で昔の建物の跡が確認されたあと、官公庁の移転と官衙の再建という復元が続きました。1998年に史跡に指定されました。
全盛期の統制営には、統制使の執務空間と住居、参謀の軍営、軍需品の工房、倉庫など、100余棟の官衙の建物がありました。今は学校や住宅街になった場所も多く、復元された区域は昔の統制営の一部にすぎません。それでも洗兵館の床に立って下を見下ろすと、海に向かって開けた丘の上に水軍の本営を置いた理由がすぐに分かります。統営城は1678年から築かれましたが、統制営の解体とともに城壁と門楼が取り壊され、現在は残っていません。
洗兵館を建てるとき、柱がたびたび倒れたため、夢に現れた老人の言葉どおり井戸を掘って祭祀を行ったという伝説が伝わっています。多くの僧侶が工事に動員され、犠牲が大きかったことをたとえた話とみる見方もあります。統営の忠烈祠(チュンニョルサ)は1606年に建てられた李舜臣の祠堂です。
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