忠清北道・報恩(ポウン)邑の吾正山(オジョンサン)の麓にある三年山城(サミョンサンソン)は、1,500年以上前の新羅の石垣が、今も堂々とそびえている場所です。城壁の下に立つと、高さ13〜20mに達する石の壁が頭上にそびえ、三国時代の城がどんな姿だったのかを実感できます。新羅が百済や高句麗に対する前進基地として使った要塞で、韓国の城郭史に欠かせない存在です。
三年山城は、新羅の慈悲王13年の470年に築かれ、炤知王8年の486年に修築されました。『三国史記』には、城を築くのに3年かかったことからこの名がついたと記されています。三国時代の報恩の地名が三年郡だったからだという説明もあり、名前の由来は資料によって異なります。朝鮮時代の記録には、吾正山城、吾項山城(オハンサンソン)という名前でも登場します。
この城は、新羅が百済を攻め、漢江流域へ進出する際の重要な拠点でした。管山城の戦いに向かった新羅軍がここに滞在し、太宗武烈王が唐の使節を迎えた場所もここだと伝わります。高麗を建てた王建がこの城を攻撃して退いたという記録もあります。1973年に国の史跡に指定され、ユネスコ世界遺産の暫定リストにも登録されています。
城の内外からは、新羅から高麗、朝鮮まで続く土器の破片や遺物が出土し、非常に長い間使われた城だと分かります。城の周辺には数千基にのぼる古墳が点在しており、この一帯が三国時代にいかに重要な場所だったかを物語っています。城壁の一部は復元された区間なので、新しい石と古い石の色が違って見えます。二つの区間を見比べるのも楽しいです。