慶尚北道尚州(サンジュ)市の花北面(ファブクミョン)、俗離山(ソンニサン)の文蔵台(ムンジャンデ)へ向かう道筋にある長岩山(チャンバウィサン、標高約541m)の頂上を、石を積んだ城壁が囲んでいます。後百済を建てた甄萱(キョンフォン)の名がついた甄萱山城です。城壁は岩の絶壁をそのまま利用し、人が登りやすい場所だけを高く積んでおり、いちばん高い所では外側の壁が15mにも達します。城壁の上に立つと、俗離山の山並みと花北の野原が一望できます。
この城がいつから甄萱山城と呼ばれるようになったのかははっきりしません。甄萱がここに滞在し、北から慶州へ向かう貢物を取り立てていたという話が伝わるだけです。『三国史記』は甄萱を尚州の人と記しており、父・阿慈介(アジャゲ)の故郷・加恩(カウン)は今の聞慶(ムンギョン)に属します。そのため、この一帯の古い城が甄萱と結びつけられました。甄萱は新羅の将軍でしたが892年に反旗を翻し、900年に完山州(現在の全州)に都を定めて後百済を建てました。
ところが、発掘調査の結果は違う話をしています。1997年の地表調査で出た遺物をもとに、調査団はこの城を5世紀後半〜6世紀前半に築かれた新羅の城と見ました。尚州と聞慶から小白山脈を越えて槐山(クェサン)や清州(チョンジュ)へ向かう道筋にあたるため、新羅が小白山脈の向こうへ進出する際の拠点とした城と考えられています。470年ごろに築かれた報恩の三年山城(サムニョンサンソン)、聞慶の古母山城(コモサンソン)とともに、新羅初期の石の山城の築き方をよく伝えています。1984年に慶尚北道の記念物に指定されました。