法住寺は、俗離山の麓に553年に建てられた大韓仏教曹渓宗の第5教区本寺で、韓国に昔の姿のまま残る唯一の木塔である捌相殿があるお寺です。国宝だけで3点、宝物も10点以上あるほど文化遺産が豊富で、境内を歩くだけで韓国仏教美術の流れをたどれます。2018年に「山寺、韓国の山地僧院」のひとつとして、ユネスコ世界遺産に登録されました。
新羅の真興王の時代に、義信祖師(ウィシン)がインドから経典を持ち帰る途中、白いロバが立ち止まって鳴いた場所に寺を建てた、という話が伝わっています。そのため、「仏の法が留まる寺」、法住寺という名前が付きました。高麗の時代には、一度に3万人の僧侶が集まる法会が開かれたという記録があるほどの大寺院で、1363年には恭愍王(コンミンワン)が舎利を祀らせました。朝鮮中期には、60棟余りの殿閣と70余りの庵を抱えていましたが、壬辰倭乱の際にほとんどが焼け、1605〜1626年に四溟大師(サミョンデサ)と碧巌(ピョガム)和尚が捌相殿などを再建しました。
寺へ向かう道沿いの正二品松(チョンイプムソン)は、樹齢約600年の松で、天然記念物です。1464年、世祖の輿が通る際に枝を持ち上げて道を開けたという話が伝わっており、世祖が正二品の官位を授けたといわれています。1993年に強風で大きな枝が折れ、以前よりもだいぶ姿が変わりました。
もともと韓国には、昔の木塔形式の指定文化財が2か所ありました。しかし、1984年に和順(ファスン)・双峰寺(サンボンサ)の大雄殿が焼け、法住寺の捌相殿が唯一残りました。捌相殿の内部に入ると、中央の柱を中心に、四方に捌相図が巡らされています。
法住寺は、さまざまな時代にわたって王室と近い関係にありました。高麗の文宗の五男である道生(トセン)僧統がここの住持を務め、元宗の時代に彌授(ミス)大師は王命で経典92巻を刊行しました。朝鮮の世祖は法住寺に立ち寄り、福泉庵に滞在していた信眉(シンミ)大師を助けて、寺を大きく修理しました。朝鮮を建国した太祖が、息子たちの争いに疲れ、法住寺の近くに滞在したという話も伝わっています。
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