朝鮮後期の大学者尤庵・宋時烈(ウアム・ソン・シヨル、1607〜1689)が晩年に弟子を教えていた、大田(テジョン)・佳陽洞(カヤンドン)の谷を公園に整えた場所です。渓谷の水が大庁(テチョン、板張りの広間)の下を通って池に流れるようにつくられた書斎南澗精舎(ナムガンジョンサ)が中心で、韓国の造園史の中でも独特な構造とされています。大田の都心にあって気軽に立ち寄れ、入場料はかかりません。
宋時烈は、蘇堤洞(ソジェドン)に住んでいたとき、能仁庵(ヌンイナム)という書斎を建てて学問に励み、1683年(粛宗9年)にその下の谷に南澗精舎を建てました。ここで多くの弟子を育てた彼は、儒学者としては珍しく、聖人を意味する「子」をつけて「宋子」と呼ばれました。
南澗精舎は、正面4間・側面2間の建物です。2間の大庁を中央に、左側はオンドル部屋、右側の手前の間は、床より高くした楼です。最も注目したい点は、泉から流れ下った水が大庁の下を通って前の池へ流れていくようにつくられた構造です。池のほとりに立って建物の下をのぞくと、水路を水が通っていく様子が見えます。
宋時烈は、孝宗と顕宗がまだ王子だったころに教えた師であり、西人、のちに老論の領袖となった人物です。孝宗の北伐論議や礼訟論争など、17世紀の朝廷の大きな争いのただ中にいて、1689年の己巳換局で賜薬(死薬)を受け、井邑(チョンウプ)で生涯を終えました。彼のいくつもの号のうち、「南澗老叟」、つまり「南澗の老人」という名前は、まさにこの谷から生まれました。死後、老論が政権を握ったことで、文廟に配享されるなど、最も高く評価された朱子学者となりましたが、今日では評価が分かれる人物でもあります。
大田市は1991年から、約5万3千㎡の敷地に、古い建物を考証して建て直し、公園を整備して、1998年4月に開園しました。蔵版閣、遺物館、書院の建物など16棟が建てられました。
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