南海(ナメ)の虎丘山(ホグサン)の麓にある龍門寺は、南海郡で最も古いお寺とされています。今の場所に移ってきた経緯が独特で、1660年、南海郷校(ヒャンギョ)の儒生たちが、郷校の正門の向かいにお寺があるという理由で、移転を求めたためです。そうして落ち着いた山あいで、宝物に指定された大雄殿と、高さ8mを超える掛仏幀(かけぶつてい)、壬辰倭乱の僧兵の痕跡をあわせて見られます。
お寺の歴史は、元暁(ウォンヒョ)が錦山(クムサン)に建てた普光寺に始まります。龍門寺は普光寺の後を継ぐお寺とされ、新羅の哀荘王(エジャンワン)の時代に創建されたという記録も伝わっています。1660年(顕宗1年)、白月(ペゴル)和尚が龍沼(ヨンソ)村の上の今の場所を選んでお寺を移し、龍門寺と名づけました。翌年にはタムジンダンとチョンムクタンが建ち、1666年に大雄殿が建てられました。
壬辰倭乱のときには、このお寺の僧侶たちが義僧軍として立ち上がり、倭軍と戦いました。僧兵が使ったという三穴砲(穴が3つある火砲)が伝わっており、粛宗(スクチョン)の時代には、国を守る寺という意味の守国寺に指定され、王室の祈願堂が建てられました。このとき下賜された蓮玉灯と燭台は日本統治時代に持ち出されましたが、「守国寺の金牌」と、王室から授かった幡は今まで伝わっています。