隆健陵(ユンゴンヌン)は、悲劇的な最期を遂げた思悼世子(サドセジャ)と、その息子の正祖(チョンジョ)が並んで眠る朝鮮王陵です。父を亡くした息子が王となったのち、父の墓を吉地に移し、自分もその傍らに葬られることを望んだ――そんな物語が、森の中の二つの陵に息づいています。鬱蒼とした松とナラの林の間を散策路が続いており、水原華城(スウォンファソン)と組み合わせた日帰り旅行にぴったりです。
思悼世子(1735〜1762年)は父・英祖(ヨンジョ)の命により米櫃に閉じ込められて亡くなり、当初は現在のソウル市東大門区の拝峰山(ペボンサン)の麓に葬られました。即位した正祖は1789年、父の墓をこの花山(ファサン)に移し、顕隆園(ヒョンニュンウォン)と名付けました。1815年に亡くなった恵慶宮洪氏(ヘギョングン・ホンシ)は翌年ここに合葬されます。1899年、高宗(コジョン)が思悼世子を荘祖(チャンジョ)に追尊したことで、墓も王陵の隆陵へと格上げされました。正祖は1800年に世を去り、遺言どおり父の傍ら、東側の丘に葬られました。1821年に孝懿王后(ヒョウィワンフ)が亡くなると、正祖の陵は現在の場所に移されて合葬されました。これが健陵です。二つの陵は2009年、「朝鮮王陵」の一部としてユネスコ世界遺産に登録されました。
思悼世子の妻・恵慶宮洪氏は、夫の死と宮中での暮らしを振り返った『閑中録』(ハンジュンロク)を残しました。隆健陵を歩きながらその物語を思い浮かべると、二つの陵の配置がいっそう味わい深く感じられます。隆陵の周りのイヌガヤは天然記念物に指定されています。隆陵には、祭祀の料理を準備した水刺間(スラガン)と、碑石を納めた碑閣(ピガク)も残っています。隆陵と健陵の石造物は、正祖の時代の文化の隆盛をそのまま伝えていると評価されています。
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