木浦(モッポ)の西の海に浮かぶ岩泰島は、100年前に小作農たちが地主に立ち向かって勝利を収めた島です。今は橋で陸地とつながり、車で入ることができます。島の入口の三叉路では、椿の木を髪の毛に見立てた老夫婦の壁画が迎えてくれます。新安(シナン)の多島海の島々を橋でつないで巡る旅の、最初の玄関口のような島です。
岩泰島は、全羅南道・新安郡 岩泰面に属する島で、木浦から西へ約25km離れています。いちばん高い場所は承鳳山(スンボンサン、355m)です。かつては木浦から船に乗らないと行けませんでしたが、2019年4月4日に、押海島(アペド)と岩泰島を結ぶ千四大橋(チョンサデギョ)が開通し、車で入れるようになりました。総延長10.8kmのこの橋は、斜張橋と吊り橋をひとつの橋に組み合わせた、韓国初の橋です。岩泰島は、隣の慈恩島(チャウンド)、八禽島(パルグムド)、楸浦島(チュポド)とも橋でつながっています。
日本統治時代、岩泰島の土地は、一部の地主が分け合って所有していました。1920年代に地主の文在喆(ムン・ジェチョル)が小作料を収穫の7〜8割にまで引き上げると、1923年8月、徐邰晳(ソ・テソク)を中心に岩泰小作人会が結成され、小作料を4割以下に下げるよう求めました。拒否されると、小作農たちは小作料の納付を拒んで粘り強く闘いました。
1924年に衝突が起きて50人余りが連行されると、島の青年会や婦人会までが立ち上がり、6月には400人余りが船で木浦へ渡って、警察署や裁判所の前で座り込みを行いました。7月には600人が裁判所の前で断食までしました。ついに8月30日、小作料を4割とする合意が成立し、この勝利は、都草島(トチョド)や慈恩島など周辺の島々の小作争議へと波及していきました。2023年11月には、島にある小作人抗争記念塔で、勝利100周年の記念式が開かれました。