臨清閣(臨淸閣)は、安東市街の東、嶺南山(ヨンナムサン)のふもとから洛東江を見下ろす、高城李氏(コソンイシ)の宗家の屋敷です。朝鮮時代中期に建てられた住居が今まで残っていること自体が貴重ですが、この家がさらに特別なのは、大韓民国臨時政府の初代国務領、石洲(ソクチュ)李相龍(イ・サンニョン)が生まれ育った場所だからです。独立運動のために家が切り取られ、再び元の姿を取り戻していく過程まで、一軒の家に近現代史が幾重にも積み重なっています。
臨清閣は、刑曹佐郎を務めた李洺(イ・ミョン)が1519年(中宗14年)に建てた家です。建立年を1515年とする資料もあります。名前は、陶淵明の「帰去来辞」のなかの「清流に臨みて詩を賦す」という一節からとられました。山すその斜面に階段状に基壇を築き、母屋、舎廊棟(客間)、祠堂、使用人の部屋、別堂を配置していて、一般に99間の家と呼ばれます。1963年に軍子亭(クンジャジョン)と正寝を中心に宝物に指定され、屋敷全体をあわせて保存しようという趣旨から、2002年に名称が現在の「安東 臨清閣」に改められました。
宗家の当主・李相龍は、国が危うくなると義兵活動に身を投じ、満州へ渡って耕学社(キョンハクサ)を組織して同胞社会を安定させ、新興武官学校を設立して武装独立闘争の土台を築きました。満州で資金が底をつくと、臨清閣を売ることにして何度も売買契約書まで書きましたが、思うようにいかず、結局は一族が資金の一部を工面してくれたといいます。臨清閣からは、彼を含めて独立運動家が9人輩出されたといわれています。これを知った日本は、1942年に家の前に中央線の線路を敷く際、使用人棟や付属棟50間余りを取り壊し、家は70間ほどに縮小されたうえ、洛東江とも切り離されてしまいました。
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