義城(ウィソン)の店谷面(チョムゴクミョン)にある沙村村(サチョンマウル)の西側には、樹齢数百年のケヤキとエノキが長く連なる林があります。高麗末期にこの村に入ってきた儒者が、野原から吹きつける風を防ぐために育てた防風林で、村の人々はいまも西林(ソリム、西の林)と呼んでいます。村に入る入口の西側に、南北に長い帯のように続く林なので、村に着く前にまずこの林を通ることになります。600年以上にわたって村を守ってきたこの林が、天然記念物の義城 沙村里の街道林です。
林は、高麗末期に安東金氏として初めてこの村に入った金子瞻(キム・ジャチョム)がつくったと伝わっています。安東から沙村に移り住んだ彼は、村の西側の平地から強く吹きつける風を防ぐために木を植え、それが今日の林になりました。林ができたのは1380年代と推定されます。
いまの林には、樹齢300〜600年ほどのケヤキ、エノキ、ナラガシワ、エンジュ、ニレなど500本あまりが育っています。人が必要としてつくった林が、数百年にわたり村とともに続いてきたこと、そして昔の人々が自然を暮らしにどう取り入れたかを示す文化遺産として認められ、1999年に天然記念物に指定されました。
この林には、壬辰倭乱(文禄・慶長の役)のときに領議政として国を率いた西厓(ソエ)柳成龍(リュ・ソンニョン)がここで生まれたという伝説が伝わっています。沙村村は安東金氏と豊山柳氏が集まって暮らしてきた村で、柳成龍とこの村の縁が語られるときには、いつもこの林が一緒に登場します。林が村の人々にとって、単なる風よけ以上の意味をもってきた理由です。
林の中は、背の高い木の間に日陰が広く落ちていて、真夏でも歩きやすいです。幹が太く、斜めに曲がった古木が多く、木の一本一本の形を見て回る楽しみがあります。林から約250m離れた村の中には、宝物の義城 晩翠堂(マンチュィダン)があります。李滉(退渓)の弟子の金士元(キム・サウォン)が1582年から1584年にかけて建てた建物で、扁額は名筆石峰 韓濩(ハン・ホ)の書です。晩翠堂には、ここを訪れた温渓 李瀣(イ・ヘ)、西厓 柳成龍などさまざまな人物の詩文が残っています。はじめは簡素な楼閣でしたが、1727年に東へ2間、1764年に西へオンドル部屋を1間増築して、いまのT字型の平面が完成しました。林と晩翠堂をあわせて見ると、沙村村がどんな家門の村だったのかが自然と理解できます。