雨漏りのする草葺きの家に住む老宰相の事情を聞いた仁祖(インジョ)は、1630年、彼に新しい家を建てて与え、「見て感じなさい」という意味の観感堂(クァンガムダン)という名前をつけました。その宰相こそ、朝鮮で領議政を何度も務めた清白吏、梧里(オリ)李元翼(イ・ウォニク)です。光明(クァンミョン)市素河洞(ソハドン)の忠賢博物館は、彼の子孫が400年以上守ってきた宗家と遺物を、そのまま公開している宗家博物館です。
李元翼(1547〜1634)は、太宗の息子である益寧君(イクニョングン)の4代孫で、1569年に文科に及第して官職に就きました。壬辰倭乱(文禄・慶長の役)のときは、義州(ウィジュ)へ避難する宣祖に付き従い、宣祖・光海君・仁祖の3人の王のもとで領議政に上りました。光海君の時代に仁穆大妃(インモクテビ)を廃そうという議論に反対し、仁祖反正の後も、光海君を殺すべきだと主張する功臣たちを引き止めるほど、原則を守った人物です。民の税負担を軽くするために、大同法をまず京畿道で施行しようと建議した人としても記憶されています。
生涯を質素に暮らして清白吏に選ばれ、背が低かったことから「背の低い宰相」というあだ名も得ました。観感堂の話は、そんな彼の人生をいちばんよく表すエピソードです。
忠賢博物館は、李元翼の13代宗孫の李承圭(イ・スンギュ)博士と夫人の咸今子(ハム・グムジャ)館長が建て、2003年10月にオープンしました。一族が代々守ってきた遺物を一か所に集めた場所で、宗家が自ら運営している博物館だという点が特別です。
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