安養(アニャン)という都市の名前は、お寺の名前から来ています。高麗時代にこの場所にあった安養寺(アニャンサ)の跡に、建築家の金重業(キム・ジュンオプ)が1959年に設計した、旧製薬工場の建物を改装してオープンしたのが安養博物館です。正門の隣には、827年に建てられた石柱が一対立っていて、建立年を刻んだ幢竿支柱(寺で幡竿を支える石柱)としては、国内で唯一のものです。統一新羅の寺跡と高麗の寺跡、1950年代の工場建物がひとつの庭に重なっているため、規模は小さくても、見どころがぎゅっと詰まっています。
安養寺は、太祖・王建(ワン・ゴン)の発願で、高僧の能正(ヌンジョン)が建てたと伝わります。「安養」は、心身が安らかに休まる極楽浄土を意味する仏教の言葉です。高麗王室の後援を受けて、七層塼塔(レンガの塔)を建てるなど大きく整備され、朝鮮前期の地理誌にも大きなお寺として載っています。しかし17世紀以降に廃寺になったとみられ、正確な位置も長いあいだ忘れられていました。
1959年、この地に株式会社ユユ産業 安養工場が建ちました。駐韓フランス大使館を設計した第一世代の建築家・金重業の初期作で、工場の建物に彫刻的な形を取り入れた点が特徴です。工場が閉鎖されたあと、安養市が2007年に土地を買い取り、2008〜2011年の4回の発掘で、「安養寺」の文字が押された瓦、七層塼塔の跡、金堂の跡が出土して、寺の位置が確認されました。寺跡は、2023年4月に京畿道の記念物「安養寺址」に指定されました。
博物館は、2004年9月に虎渓洞(ホゲドン)の平村(ピョンチョン)アートホールで、「安養歴史館」としてスタートしました。2017年9月28日に今の場所へ移って再オープンし、2019年に第1種専門博物館になりました。工場の作業場の建物は安養博物館、研究室の建物はすぐ隣の金重業建築博物館、ボイラー室は煙突とともに教育館として使われています。
ここが長いあいだ「中初寺址」と呼ばれたのは、幢竿支柱に刻まれた寺の名前のためです。ところが、発掘してみると、同じ場所から高麗の安養寺の瓦と塔の跡が出てきました。そのため、今では同じ場所に新羅の中初寺と高麗の安養寺が相次いであったとみて、この土地を、新羅の寺跡と高麗の寺跡、現代の産業遺産が時代ごとに重なった場所と評価しています。日付の「2月30日」にも注目してみてください。旧暦には30日まである月があるために生じた表記です。
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