亀尾(クミ)・海平面(ヘピョンミョン)の冷山(ネンサン)の中腹にある桃李寺(トリサ)は、新羅にはじめて仏教を伝えた高句麗の僧・阿道和尚(アドファサン)が建てたと伝わるお寺です。真冬に桃の花と李(すもも)の花が咲いた場所にお寺を建てたという名前の由来、煉瓦を積んだような独特の石塔、国宝の舎利器が出土した舎利塔まで、小さな境内に話題がたくさんあります。
伝説によると、阿道和尚は新羅に仏教を伝えるため、徐羅伐(ソラボル)に行った帰り道、真冬なのに桃の花(桃)と李の花(李)が満開になっている場所を見て、そこにお寺を建てたといいます。それで名前が桃李寺です。創建年は417年と伝わり、新羅が仏教を公認する前に建てられた新羅最初のお寺として知られています。正確な創建時期を確認できる記録は残っていません。
高麗の時代までお寺の姿を保っていましたが、壬辰倭乱(文禄・慶長の役)の後に衰え、火災で殿閣がなくなりました。1729年に近くの金堂庵(クムダンアム)の場所へお寺を移して再建し、1823年に祖師殿、1875年に極楽殿を修理しました。今は金泉(キムチョン)の直指寺の末寺です。
阿道和尚がお寺を建てられたのは、毛礼長者(モレチャンジャ)という人の布施のおかげだったと伝えられています。極楽殿の軒下の組物は、1870年に再建した景福宮(キョンボックン)の勤政殿の方式に似ていて、朝鮮後期建築の特徴がよく表れていると評価されています。近代に入り、1920年に阿道和尚の肖像画が新たに描かれました。
南の森の2つの碑もじっくり見ると面白いです。阿道和尚事績碑は、自然の岩を台座にして碑を立て、笠石の前面には螭(みずち)、背面には龍を4匹刻みました。碑の裏には「慈雲碑」という文字があります。隣の仏糧畓施主秩碑(プルリャンダプ)は、お寺に田畑を寄進した人の名前と土地の規模を記した碑です。