軍威の阿弥陀如来三尊石窟は、八公山(パルゴンサン)の北の麓、切り立った岩壁の中腹にある天然の洞窟に3体の仏像をお祀りした石窟寺院です。慶州(キョンジュ)の石窟庵(ソックラム)より前に造られ、その原型とされることから、よく「第2石窟庵」と呼ばれています。1962年に国宝に指定され、2023年に軍威郡が大邱(テグ)広域市に編入されたことで、大邱でただひとつの国宝になりました。
石窟は、高さ約20mの岩壁の中ほどに、南向きに開いた丸い洞窟です。床は四角く、天井は中央がいちばん高く、縁へ向かって低くなる丸みのある形をしています。中央に結跏趺坐(けっかふざ)で座る阿弥陀如来、その両脇に観音菩薩と大勢至菩薩が立っています。本尊は肩幅が広くふっくらとした顔立ちで、菩薩像は腰を少しひねった姿をしており、中国・隋唐の彫刻の影響がうかがえます。
お寺に伝わる話では、新羅の炤知王(ソジワン)の時代、493年に極達和尚(クッタルファサン)が初めて開いたといいます。ただ学界では、仏像の様式から7世紀後半、三国統一のころに造られたとみています。どちらにしても、751年に工事が始まった慶州の石窟庵より古いことになります。石窟庵が石を積んで人工の石窟を造ったのに対し、ここは自然の洞窟をそのまま生かしている点が、いちばん大きな違いです。
石窟は長いあいだ忘れられていましたが、1927年に近くのハンバム村(ハンバムマウル)の住民が見つけたことで知られるようになりました。本格的な学術調査はその後に行われ、1962年の政府調査を経て、同じ年の12月に国宝に指定されました。のちに学者たちが慶州の石窟庵より古い石窟であることを明らかにし、「第2石窟庵」という別名がつきました。もとの名前は「軍威三尊石窟」で、2010年に今の名称に変わりました。
岩壁をなす岩は、地質学的には中生代白亜紀にできた八公山花崗岩です。硬い花崗岩の絶壁にできた自然の洞窟を生かして仏様をお祀りしたところが、ここならではの特徴です。
石窟の前の境内には、石造毘盧遮那仏坐像と、レンガのように石を削って積んだ模塼石塔(もせんせきとう)があります。1991年に建てられた毘盧殿(ピロジョン)や山神閣(サンシンガク)などの建物もあり、周囲は八公山の森に囲まれて静かです。