八公山(パルゴンサン)の東、永川(ヨンチョン)市清通面(チョントンミョン)の森の道を進むと、澄んだ谷川の水音の向こうに大きなお寺が現れます。銀海寺(ウネサ)は、桐華寺(トンファサ)とともに八公山を代表する寺院で、大韓仏教曹渓宗の第10教区本寺として50余りのお寺を率いています。名前は「銀色の海」という意味で、極楽浄土を海にたとえて付けたといわれます。
お寺は、新羅の憲徳王(ホンドクワン)が即位した809年に慧哲国師(ヘチョルクッサ)が「海安坪」に建てた海安寺(ヘアンサ)から始まりました。憲徳王は甥の哀荘王(エジャンワン)を退けて王位に就きましたが、その過程で命を落とした人々の魂を慰め、王の懺悔を助けるために建てたお寺と伝えられます。
朝鮮の1545年、文定王后(ムンジョンワンフ)が垂簾聴政を行っていたころ、法堂を今の場所に移して新しく建て、仁宗(インジョン)の胎室(王族の胎を納める施設)を祀ることになって、名前を銀海寺に改めました。そのため、このお寺の中心のお堂は大雄殿ではなく、阿弥陀仏の極楽殿です。
壬辰倭乱でも大きな被害を受けなかった銀海寺は、1847年、創建以来最大の火事に遭い、極楽殿を除く千余間の建物がすべて焼けました。3年余りの再建工事を経て1849年に大雄殿と宝華楼、尋劒堂、説禅堂などを建て直しましたが、このとき秋史 金正喜(キム・ジョンヒ)が大雄殿・宝華楼・仏光の扁額の文字を書きました。現在、本寺の境内には19棟の建物が残っています。2023年12月31日に八公山が国立公園に指定されたことで、銀海寺も国立公園の中のお寺になりました。
銀海寺には、名高い末寺や庵が数多くあります。国宝の霊山殿(ヨンサンジョン)と五百羅漢で有名な居祖寺(コジョサ)は、もともと銀海寺に属する庵「居祖庵」でしたが、のちに寺に昇格しました。「一生に一つの願いはかなえてくれる」といわれる八公山カッパウィ(冠峰の石仏)がある善本寺(ソンボンサ)も、銀海寺の末寺です。銀海寺には曹渓宗が設けた僧伽大学院もあり、仏教教育の中心的な役割を果たしています。
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