漢拏山(ハルラサン)の北の麓、標高約650mにある観音寺は、済州の寺院を統括する大韓仏教曹渓宗の第23教区本寺です。一柱門(イルチュムン)を過ぎると、済州の玄武岩を削った仏像が坂道の両側に並び、境内には僧侶が祈りを捧げた溶岩洞窟が残っています。島の仏教が途絶え、再び立ち上がった過程と、4・3事件の傷跡が、ひとつのお寺に重なっている場所です。
観音寺がいつ初めて建てられたかは分かりません。済州にはかつて、お寺が500、堂(シンダン、神堂)が500あるといわれるほど信仰が深かったのですが、朝鮮の粛宗の時代にお寺がすべて閉ざされて、観音寺も廃墟になりました。その後、約200年間、済州には事実上お寺がなかったといいます。
お寺を再び建てたのは、比丘尼(女性の僧侶)の安蓬廬観(アン・ボンニョガン)師です。地域の反対のなかでも、お寺の前の海月窟(ヘウォルグル)で3年間観音の祈りを捧げながら、法堂と僧坊を建て、観音寺は1908年(資料によっては1909年)に再び門を開きました。この出来事は、近代済州の仏教が復活した出発点とされています。
1939年の火災で大雄殿などが焼け、済州4・3事件の際には、漢拏山の麓という位置のために、武装隊と討伐隊がぶつかる激戦地になりました。住民たちはお寺や洞窟に身を隠し、殿閣はすべて焼けてなくなりました。漢拏山への入山禁止が解かれたあと、1960年代末から、大雄殿を皮切りに、禅房、霊山殿、海月閣、四天王門、一柱門、鐘閣を順に建て直して、今の姿になりました。
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