扶余(プヨ)の鴻山面(ホンサンミョン)、飛鴻山(ピホンサン)の端に、朝鮮時代の県の役所がほぼそっくり残っています。鴻山県官衙(ホンサニョングァナ)は、県の長官が執務していた東軒(トンホン)と、客や使臣を迎えた客舎(ケクサ)が、比較的原形のまま一緒に残る非常に珍しい例です。にぎわう扶余市内から少し離れて、朝鮮の小さな県の行政をひとところで見て回れます。
鴻山は、1914年の行政区域の再編で扶余郡に編入されるまで、独立した県でした。1413年(太宗13年)から県監が派遣され、大同米を集めて保管する倉庫鴻山倉があったことから、朝鮮時代の重要な県でした。壬辰倭乱の最中の1596年には、李夢鶴(イ・モンハク)の乱がここで起こりました。官衙が最初に建てられた年代は分かっていませんが、少なくとも2回以上建て直されており、『輿地図書』や『湖西邑誌』、奎章閣の鴻山県地図などの記録に、官衙の姿が残っています。
2010年から復元事業が続き、各種の物品を保管していた官庁(クァンチョン)のような建物も新たに建てられました。古い東軒・客舎と、新しく復元された建物を見比べる楽しさもあります。