名前だけ見るとお寺のようですが、鎮川 吉祥祠(キルサンサ)の「祠」は、お寺の「寺」ではなく、祠堂の「祠」です。鎮川(チンチョン)で生まれ、三国統一を導いた金庾信(キム・ユシン、595〜673)将軍の肖像を祀る祠で、1975年に忠清北道記念物第1号に指定されました。鎮川邑の碧岩里(ピョガムリ)、都堂山(トダンサン)の麓にあり、紅箭門から祠まで続く道は、春は桜、秋はイチョウの葉に覆われます。
金庾信は、萬弩郡(マンノグン、現在の鎮川)の太守・金舒玄(キム・ソヒョン)の息子として生まれ、15歳で花郎(ファラン)になりました。660年に上大等となり、唐と手を組んで百済を滅ぼし、高句麗の征伐でも大総管として出陣して、三国統一の礎を築きました。亡くなったのちに興武大王と追封されています。鎮川は彼が生まれ育った土地なので、郡内のあちこちに関連の史跡が残り、誕生地と胎室は史跡に指定されています。
新羅と高麗の時代には、将軍が生まれた胎霊山(テリョンサン)のふもとにある祠で、国が春と秋に祭祀を行い、朝鮮時代に入ると鎮川の県監が祭祀を担いました。壬辰倭乱と丙子胡乱で荒廃したため、1851年に栢谷面(ペッコンミョン)に竹渓祠(チュッケサ)を建てましたが、1864年に興宣大院君(フンソンデウォングン)の書院撤廃で取り壊されました。1866年に子孫たちが再び祠を建てたものの、1922年の洪水で流され、1926年に子孫の金万熙(キム・マニ)の尽力で、現在の場所に吉祥祠が建てられました。名前は胎霊山の古い名前「吉祥山」に由来します。朝鮮戦争の後、1959年に改修され、1975年の整備事業で現在の姿になりました。