渓流が寺の前で大きくS字を描いて流れていきます。風水ではこの水の流れを太極(テグク)になぞらえ、朝鮮の人々は麻谷寺一帯を戦乱を避けられる十勝地(シプスンジ)のひとつに数えました。公州(コンジュ)麻谷寺は、大韓仏教曹渓宗第6教区の本寺で、忠清南道の寺院を取りまとめる大きな寺です。2018年に「山寺、韓国の山地僧院」7か所のひとつとして、ユネスコ世界遺産に登録されました。
創建については、640年に慈蔵(チャジャン)律師が建てたという話と、普照国師・体澄(チェジン)が建てたという話が併せて伝わっています。ただし、それを裏づける遺物は確認されておらず、高麗以前に建てられた寺であるという程度しかはっきりしていません。「麻谷(マゴク)」という名前は、普徹(ポチョル)和尚が説法をしたとき、集まった人々が麻畑の麻の茎のようにぎっしり並んでいたことに由来するといいます。高麗時代に盗賊の巣窟になっていた寺を再興したという話や、朝鮮の世祖が訪れて霊山殿の扁額を書き、輿を置いて帰ったという話も残っています。壬辰倭乱(文禄・慶長の役)で多くの殿閣を失い、1651年に大雄宝殿、霊山殿、大光宝殿などを再建しました。
1896年、明成皇后(閔妃)の殺害に怒って日本人を殺し、仁川の監獄に収監されていた金九(キム・グ)は、脱獄したあとここに身を隠し、「円宗(ウォンジョン)」という法名で僧侶として暮らしました。大光宝殿の前のビャクシンの木は、彼が植えたと伝わります。金九はのちに独立運動を率いる人物となったため、この木の前で足を止める人が多くいます。
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