浦項市神光面の行政福祉センターの庭にある小さな碑閣の中に、人の背丈より低い四角い石が1つ立っています。1989年に村の住民が畑を耕していて見つけた浦項 冷水里新羅碑で、新羅時代の石碑の中でも指折りの古さを誇る国宝です。内容は意外にも、1人の人物の財産と相続をめぐる争いを裁いた記録です。
碑文には、「節居利(チョルコリ)」という人物が財産を持つことを認め、彼の死後は弟の側に相続させ、他の人がこれに異議を唱えられないようにした決定が記されています。智証王をはじめ、新羅の複数の部の代表7人が共同で議論して決定したという点で、王が単独で命令するよりも、貴族たちとともに統治していた時期の姿をうかがわせます。牛を殺して天に告げる儀式を行ったという内容もあり、当時の風習を伝えています。
碑文に出てくる「癸未年」と「至都盧葛文王」という称号を根拠に、503年(智証王4年)に建てられたとする見解が多く、443年とする見解もあります。発見当時は最古の新羅碑とされましたが、2009年に同じ浦項で中城里(チュンソンニ)新羅碑が見つかり、その座を譲りました。1991年に国宝に指定されました。
この碑は、加工していない四角い自然石で、下が広く、上へ行くほど細くなっています。ほかの石碑と違って、前面・後面・上面の3面すべてに文字が刻まれており、前面12行152字、後面7行59字、上面5行20字の、合計231字です。碑文はほとんどすり減っておらず、目で読めるほど保存状態がよいのが特徴です。書体は楷書で、隷書の趣が多く残っており、碑の形や書体は、忠州(チュンジュ)高句麗碑や蔚珍(ウルチン)鳳坪里(ポンピョンニ)新羅碑によく似ています。国が建てた碑として、王命を扱う初期の律令体制の姿を伝えているため、新羅史や金石学の研究にとって貴重な資料とされています。碑閣の格子越しに、上面や側面の文字の列も探してみてください。
2009年、ここから東へ約8.7km離れた興海(フンヘ)邑中城里で、浦項 中城里新羅碑が見つかりました。道路工事の現場から出た石を、住民が植木鉢の台にしようと持ち帰ったところ、雨で土が洗い流されて文字が現れたといいます。501年または441年に建てられたとされるこの碑も、地方の人々が絡んだ財産争いを扱っており、2つの碑をあわせて読むと、新羅が地方の争いをどう処理したのかがよく分かります。中城里新羅碑は2015年に国宝になりました。