清州(チョンジュ)市内から東を眺めると、上党山(サンダンサン)の頂上に帯を巻いたような城壁が見えます。上党山城は、山の稜線に沿って石の城壁が谷全体を抱え込んだ包谷式の山城で、清州を代表する古い建築物です。城壁の上を歩きながら、清州市内や遠く清州国際空港まで見下ろし、城内の村で一息つくこともできます。
「上党」という名前は、百済の時代の清州の古い地名・上党県に由来するとみられます。当初は土で築いた城だったと推定され、南門の外で出土した瓦の文字から、統一新羅の西原京と関わりがあったことも分かります。金庾信(キム・ユシン)の父が築いたという話も伝わっています。
その後、高麗と朝鮮を経て、嶺南と湖南、ソウルをつなぐ道の要衝となりました。壬辰倭乱のさなかの1596年に修築し、1716年(粛宗42年)に加工した花崗岩で城壁を大規模に築き直して、今の姿になりました。城門の石には、当時の工事を担当した人々の名前と官職が刻まれています。城内には約3,500人の兵士と僧軍が配置され、城を守り、修理したといいます。1970年に国の史跡に指定されました。
城内には、今も人が暮らす村があります。韓屋の食堂が集まっていて、城壁を一周した後にチヂミと伝統酒を味わうのが、清州の人々の昔からの定番のお出かけコースです。城の周囲は資料によって4.1kmから4.4kmまで異なりますが、城壁に沿って一周し、城内へ下りてくる道が整っています。
城門の石積みには、1716〜1719年の工事を監督した忠清兵使のユ・ソンチュと後任のイ・テマンらの名前が残っていて、翌年に城内の九龍寺(クリョンサ)と南岳寺(ナマクサ)の二つのお寺と暗門を設けたという記録も刻まれています。西門のミホ門は、2014年から2015年にかけて解体補修されましたが、昔の西門の位置は今の門から38m外側にありました。南暗門を出て南の山並みに沿って約1.7km下るとコッテ山烽燧台とつながり、この門からひそかに敵の背後を突いたり、南の道を監視したりしたといいます。