ロッテワールドタワーが見下ろす松坡(ソンパ)の住宅街のまん中、石を階段のように積み上げた巨大な墓が、芝生の上に並んでいます。漢城(ハンソン)に都を置いた初期百済の王族や貴族が眠る石村洞古墳群です。最も大きい3号墳は一辺が50mを超え、高句麗の代表的な墓である中国・集安の将軍塚よりも大きいほどです。「石の村」という意味の石村という地名も、この積石塚(つみいしづか)から生まれたといわれます。
1916年の日本統治期の調査では、この一帯に積石塚と土の墓が90基あまり残っていました。しかし、解放後に墓の上に家が建ち、都市開発が続くなかで、大半が姿を消しました。1974年にソウル大学の発掘団が3・4号墳を緊急調査して、高句麗式の積石塚に似た構造を確認し、翌年の1975年5月27日に史跡に指定されました。その後も、1983年には道路工事で3号墳の基壇の一部が削り取られるといったこともありましたが、1987年に周辺の民家を撤去して、今のような古墳公園が造られました。
積石塚は、高句麗を代表する墓の様式です。ソウルのど真ん中にこのような墓があることは、百済を建てた勢力が高句麗から南下してきた移住民だったという建国の物語を裏づける考古学的証拠とされています。
2015年に古墳群の中で地面の陥没が起こったあと、発掘調査が再び続けられています。調査の結果、複数の墓が互いに連なった連接式の積石塚が確認され、規模は約125m × 60mに及びます。百済の墓としては初めて火葬した人骨が見つかり、金の耳飾りや軒丸瓦、百済土器など、約2,000点の遺物が出土しました。