襄陽(ヤンヤン)の西面(ソミョン)、美川谷(ミチョンゴル)の深い渓谷に沿って森の道を登っていくと、山の斜面に寄り添うように、石塔や石灯籠、石碑が点在する寺院跡が現れます。襄陽 禅林院址は、9世紀に新羅の禅宗の僧侶たちが過ごした寺の跡で、三層石塔・石灯・弘覚禅師塔碑・僧塔など、宝物4点が一か所に残っています。10世紀初めの大規模な土砂崩れに埋もれて姿を消した寺だという背景まで知って訪れれば、静かな渓谷が違って見えてきます。
1948年、この谷で家を建てるための木材を加工していた人々が、偶然に新羅の梵鐘を見つけたことで、寺院跡が世に知られるようになりました。鐘の内側に浮き彫りされた文章には、804年(哀荘王5)という年号があり、海印寺(ヘインサ)を建てた順応法師がこの寺を最初に建てたということも、この鐘で明らかになりました。9世紀には、順応、廉居和尚、弘覚禅師(814~880)が相次いで住み、禅宗の法脈を受け継ぎ、弘覚禅師のときに寺を大きく建て直したと伝わります。
1985~1986年の東国大学校の発掘調査では、900年ごろの大洪水で土砂崩れが起こり、寺がまるごと埋もれたものと推定されました。梵鐘は安全のために五台山(オデサン)の月精寺(ウォルジョンサ)に移されましたが、1951年に朝鮮戦争のさなか月精寺が焼けた際に、溶けてしまいました。残った破片は、国立中央博物館と国立春川博物館にあります。2015年の発掘では、僧房の跡とみられる場所から、伏せた状態で埋まっていた金銅菩薩立像が出てきました。光背と台座まで揃った高さ66.7cmの像で、出土地が確実な発掘品のなかでは最も大きな菩薩像です。金メッキがほとんどはがれていないことから、造られてまもなく埋もれたものとみられています。