漢陽都城(ハニャンドソン)は、朝鮮の首都・漢陽(ハニャン)を取り囲む城郭で、白岳(北岳山、プガクサン)・駱山(ナクサン)・南山(木覓山、モンミョクサン)・仁王山(インワンサン)の稜線に沿って約18.6km続いています。1396年から1910年までの514年間、都城としての役割を果たし、現存する世界の首都の城郭のなかで、もっとも長く機能した城といわれています。城壁沿いを歩く「巡城路」は、ソウル都心の山と古い町並み、ビルの森をいっぺんに見せてくれる道です。
太祖(テジョ)は1396年の旧暦1月、全国から成人男性約11万8千人を集めて城の築造を始めました。全体を97の区間に分け、千字文(チョンジャムン)の順に名前をつけて、98日で白岳山・駱山・南山・仁王山をつなぐ城壁を完成させました。同じ年の秋には、城門もすべて建てました。1422年の世宗(セジョン)の時代には、32万人余りを動員し、38日間で、土で築いていた区間をすべて石で築き直しました。真冬の工事のため、けがをしたり逃げ出したりする人が多く、国は治療所を4か所設けましたが、逃げて捕まれば杖100回、2度目は死刑に処されたといいます。その後、粛宗(スクチョン)と純祖(スンジョ)の時代まで何度も修築され、時期ごとに城石の加工の仕方が変わりました。
1907年から、路面電車の線路を敷くという理由で崇礼門(スンニェムン)と興仁之門(フンインジムン)の脇の城壁が取り壊され、日本統治時代と朝鮮戦争を経て、平地の区間の大部分が失われました。1975年に光熙門(クァンヒムン)の門楼が復元されたのを皮切りに復元が進み、2013年時点で、全体の約70%が残っているか復元された状態です。
城壁のあちこちに、文字が刻まれた石があります。区間ごとに工事を担当した人の名前などを刻んで責任を明確にした跡で、歩きながら自分で探してみることができます。石の形にも注目してみてください。太祖の時代には自然石を粗く加工して、下には大きな石、上に行くほど小さな石を使い、世宗の時代にはもう少し四角い石を、粛宗と純祖の時代にはきれいな長方形に切った石を使いました。漢陽都城は2012年にユネスコ世界遺産の暫定リストに登録されましたが、2017年の初の登録申請は実りませんでした。駱山公園の下にある長寿(チャンス)マウルは、朝鮮戦争のあとのバラック村から始まった町で、再開発ではなく、住民たちが自ら家や路地を直す町の再生を選びました。
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