東関王廟、略して東廟は、中国の三国時代の蜀の武将関羽を祀る祠です。朝鮮の地になぜ中国の武将の祠が?と思うかもしれませんが、壬辰倭乱(イムジンウェラン、文禄・慶長の役)という国際戦争が残した痕跡です。ソウルにあった関王廟のなかで、今まで残っているもっとも大きく保存状態のよい廟で、中国風の建築と彩色の彫像を間近で見られます。
壬辰倭乱のときに朝鮮へやって来た明の将軍たちは、関羽の霊が戦争を助けたと信じ、あちこちに関王廟を建てました。戦争が終わった後、明から祠を建ててほしいという要請を受けた朝鮮は、東大門の外で1599年に工事を始め、1601年(宣祖34年)に完成させました。明の万暦帝が建築資金と直筆の扁額を送ってきました。性理学を重んじた朝鮮の人々にとって、関羽崇拝はなじみがなく、祠は長いあいだ外交関係のために維持されました。英祖の時代になってようやく国家祭祀に加えられました。ソウルには南関王廟、北関王廟、西関王廟もありましたが、移されたり取り壊されたりして、東廟だけが元の場所に残りました。1936年に宝物に初めて指定され、1963年に改めて宝物に指定されました。
2011年10月、金銅の関羽像の後ろにある日月五峰図の裏から、隠されていた雲龍図が見つかりました。調査を終えた後、絵は再び日月五峰図で覆われました。東廟で祈祷を捧げるときに使われた白磁の瓶は、今はソウル歴史博物館にあります。
東廟は、間口より奥行きが長い中国式の配置に従い、背面と側面を煉瓦で華やかに仕上げています。木の柱と土壁が中心の朝鮮の祠と並べてみると、違いがすぐに目に入ります。英祖の時代に関羽の祭祀が国家儀礼に入った背景には、明を慕い、清を見下していた当時の空気がありました。2014年、ソウル市は東廟の中の遺物37件をソウル市有形文化財に指定する手続きを進めました。