鶏龍山(ケリョンサン)の南西の麓にある新元寺(シンウォンサ)は、東鶴寺(トンハクサ)、甲寺(カプサ)とともに鶏龍山の三大寺院に数えられるお寺です。百済の時代に初めて建てられた古いお寺ですが、ここを特別な場所にしているのは、境内の一角にある中岳壇(チュンアクタン)です。朝鮮王室が鶏龍山の山神に祭祀を捧げた祭壇の建物で、同じ性格の祭壇の中で現存するのはここだけです。ほかの2つのお寺よりずっと静かで、ゆっくり見て回るのに向いています。
新元寺は、百済の義慈王11年にあたる651年に普徳和尚(ポドクファサン)が建てたと伝えられています。何度も改築され、現在の大雄殿は1876年に再建された建物です。壬辰倭乱(文禄の役)で焼けた後、場所を移して再建されたと伝わり、元の寺跡は中岳壇の南の広い畑と推定されています。その場所に五層石塔が立っていて、昔のお寺の中心がどこだったのかを想像させてくれます。
寺名にも由来があります。もともとは「神」の字を使った神院寺でしたが、高宗が国号を大韓帝国に改めた際に、新しい国の始まりを意味する新元寺に改めたといいます。
朝鮮の太祖3年にあたる1394年、王室は鶏龍山の山神を祀る壇をここに設けました。最初の名前は鶏龍壇でした。1651年に一度取り壊され、1879年に明成皇后(ミョンソンファンフ)の意向で再建されました。このとき、妙香山(ミョヒャンサン)の上岳壇、智異山の下岳壇と対をなし、「真ん中の山の祭壇」という意味の中岳壇となりました。上岳壇と下岳壇は失われ、現在は中岳壇だけが残っています。1999年に宝物に指定されました。
建物は宮殿の様式を小さく縮めた形です。仏教寺院の中に、王室の山神祭祀の空間が一緒にある独特な構成が見られます。中には山神図が祀られています。