琵瑟山(ピスルサン)の北の麓の深い谷にある龍淵寺は、釈迦牟尼の真身舎利を祀る寂滅宝宮があるお寺です。舎利を納めた石の壇である金剛戒壇(宝物)は、通度寺(トンドサ)、金山寺(クムサンサ)の戒壇とともに、韓国を代表する石造の戒壇とされています。大邱の都心からバスで行ける距離なのに、森の道に沿って入っていくと、山寺の静けさがそのまま残っています。
お寺の名前は「龍の住む池(龍淵)」という意味です。お寺では912年(新羅の神徳王元年)に普壌(ポヤン)国師が初めて建てたと伝えていますが、資料によっては914年の創建と記されています。今のお寺は、壬辰倭乱で焼けたのち、1603年に四溟(サミョン)大師の意を受けて、仁岑(インジャム)、坦玉(タノク)、敬天(キョンチョン)和尚らが再建したことにつながっています。1650年にまた大火事が起き、普光楼だけを残してすべて焼けましたが、翌年、戒環(ケファン)、如暉(ヨフィ)和尚らが再興しました。
お寺には、7匹の龍にまつわる伝説も伝わっています。外敵と戦って亡くなった村の青年7人の魂を慰めると、干上がりかけていた池に再び水が満ち、その後、池に7匹の幼い龍が住んで村を守ったという話です。千年が過ぎて昇天する時期になると、龍たちは先に昇ろうと争い、4匹だけが天に昇ったといいます。
龍淵寺を訪ねる一番の理由は、境内の最も奥、石垣に囲まれた金剛戒壇です。戒壇(かいだん)は、僧侶が戒を受ける儀式を行う壇で、ここには仏様の舎利が祀られています。壬辰倭乱のとき、通度寺の舎利は戦乱を避けて何か所かに移されましたが、戦乱が終わったあと、四溟大師の弟子の清眞(チョンジン)和尚が、舎利2粒のうち1粒をここに祀ったと伝えられています。お寺に建てられた釈迦如来碑の記録から、戒壇は1613年(光海君5年)に完成したことが分かります。
訪問前に最新情報をご確認ください。