安山(アンサン)・草芝洞(チョジドン)の低い丘二つを、石垣がつないでいます。朝鮮初期に南陽湾へ入ってくる倭寇を防ぐため、海辺に築いた海岸山城の跡で、今は約225mの長さの城壁が、森の散策路のように続いています。毎年秋になると、この城跡を舞台に、安山を代表する祭り別望城芸術祭が開かれます。
別望城は、朝鮮初期に築かれたと推定されます。海辺にそびえる低い峰二つを石でつないで築き、海岸から入ってくる敵を防ぐ構造でした。ここには海を守る水軍の万戸営があり、干潟が堆積して船の出入りが難しくなると、軍営を仁川の永宗浦に移し、海路が再び深くなると戻ってきたという記録が伝わっています。隣接する牧内里山城、君子山城とともに、南陽湾を守る西海岸の要衝でした。
古い記録には、城の周囲が1,040m、高さが1.2〜2.1mだったと書かれています。しかし、朝鮮戦争のときにほとんどが壊れ、安山市が1988年に、残っていた部分をもとに復元しました。現在残る城壁は、長さ約225m、高さ約1.45mです。城壁の外側は石をほぼ垂直に積み、内側は土をなだらかに突き固めて盛り上げています。城の中央からは、青磁や陶磁器の破片が出土しました。1979年9月3日に、京畿道指定文化遺産(第73号)になりました。
万戸(萬戶)は、朝鮮時代に各鎮に配置された水軍の指揮官の職名です。西海岸の南陽湾は、船が内陸の奥深くまで入ってこられる要所だったため、別望城のような小さな海岸の城が連なって、海側を監視していました。軍営が永宗浦に移って戻ってきたという記録は、干潟が堆積したり削られたりする西海の海辺の変化が、軍事施設の運命まで変えたことを示しています。城壁の上に立って、昔の海辺はどのあたりだったのだろうと思い描いてみると、この城がなぜここにあるのかが、一段とよく見えてきます。