仁川(インチョン)南洞区(ナムドング)の蘇莱浦口は、地下鉄で行ける海辺の漁港です。引き潮になると港の底が干潟になって現れ、船が泥の上に斜めに横たわり、満ち潮になると再び浮かび上がって出入りします。エビの塩辛やワタリガニ、刺身を買いに来る首都圏の人々で毎週末賑わう、塩田と狭軌列車の歴史が幾重にも積み重なった港です。
朝鮮時代まで、蘇莱は仁川南村面に属する小さな漁村でした。様子が変わったのは日本統治時代です。1934年から広い干潟に蘇莱塩田ができ、1937年にこの塩を運ぶために狭軌列車の水仁線(スインソン)が敷かれて蘇莱駅ができました。1950年代には、このあたりの塩田が国内の塩の30%ほどを生産したといいます。
朝鮮戦争のあとは、黄海道(ファンヘド)出身者をはじめとする失郷民(北から避難してきた人々)がここに住み着き、小さな船でエビ漁を始めました。近くの塩田でとれた塩で漬けたエビの塩辛は、1970年代に港の名物になりました。1974年に仁川内港が竣工して、小型のエビ漁船が仁川港を使えなくなると、船が蘇莱に押し寄せました。塩田は1996年に完全に閉鎖され、狭軌列車も1995年に止まりましたが、2012年に水仁線が標準軌の電車として再開通して、蘇莱浦口は再び訪れやすい港になりました。2017年には国家漁港に指定されました。
「蘇莱」という名前は、小川のほとりに松がうっそうと茂り「ソルネ」(松の川)と呼ばれていたものが変わったという説と、唐の将軍・蘇定方(ソ・ジョンバン)がここに着いたという説が伝わっていますが、どちらも確かではありません。1963年につくられた蘇莱漁村契は、会員の多くが失郷民であるため、漁村契が行う大同クッにも黄海道式のクッ(巫儀)が混ざっています。毎年秋には、ヘオルム広場を中心に蘇莱浦口祭りが開かれます。2026年は10月2日から4日まで開かれ、51万人余りが訪れました。
蘇莱浦口で取引される水産物は、エビやワタリガニをはじめ、ニベ、スズキ、エイ(ホンオ)、ヒラメ、テナガダコまでさまざまです。それでも、ここの顔は、やはりエビの塩辛です。塩辛の店では、5月に捕れたオジョッ、6月のユクジョッ、秋のチュジョッのように、エビを捕った時期によって分けられた塩辛を味見して選べます。ワタリガニは、春には卵がぎっしり詰まった雌が、秋には身が太った雄がたくさん出回ります。市場で刺身をさばいてもらうと、上の階や周辺の食堂で、席料を払ってそのまま食べられます。
港から少し歩くと、昔の塩田跡を蘇らせた蘇莱湿地生態公園に出ます。ここの塩田は1996年まで塩をつくっていて、2009年5月に塩田と干潟を湿地に戻す事業が終わり、現在の公園になりました。面積が約151万㎡に及び、葦原の間に風車と塩倉庫、体験用の塩田が点在していて、生態展示館では塩づくりの道具を見られます。生態展示館は無料で、月曜は休みです。