名前に「島」の字が付いていますが、烏耳島(オイド)はもう島ではありません。日本統治時代に干潟に塩田ができ、続いて干拓が進んで陸とつながり、今では首都圏電鉄4号線と水仁・盆唐線の終着駅の名前としてのほうがなじみ深いでしょう。広い西海(黄海)の干潟、防潮堤沿いの散策路、日暮れ時の夕焼け、焼き貝の通りがひとつの場所に集まっていて、ソウルや仁川(インチョン)から半日の海辺のお出かけにぴったりです。
ここには先史時代から人が暮らしていました。入口側の丘に広がる始興烏耳島遺跡は、西海岸最大の新石器時代の貝塚として挙げられ、国の史跡に指定されています。高麗の1018年に安山県(アンサンヒョン)に属し、朝鮮の初めには吾叱哀島(オジルエド)、成宗の時代にはオジルイドと呼ばれ、正祖の時代に今の名前になりました。
名前は、近くにあった玉亀島(オククド)と玉貴島(オクィド)を合わせて呼んでいた言葉に由来すると考えられています。漢字の「烏耳」(カラスの耳)は、音を借りて書いたにすぎないため、島の形がカラスの耳に似ているから、という説明は誤って伝わった話です。1914年に始興郡君子面(クンジャミョン)に入り、1989年からは始興市正往洞(チョンワンドン)です。始華(シファ)地区の開発が進んだ1988〜2000年のあいだに、アンマル、サルマク、ペダリといった昔の自然村はすべて姿を消しました。
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