莞島(ワンド)沖の小さな島将島(チャンド)は、9世紀の東アジアの海を舞台に活躍した張保皐(チャン・ボゴ)が築いた清海鎮(チョンヘジン)の本拠地でした。莞島の将左里(チャンジャリ)の村から木の橋を渡ればすぐ島に着き、島全体に城壁や城門、井戸、海の中の木柵の跡が残っています。大きくはない島ですが、新羅・唐・日本を結んだ海上貿易の中心地を、実際に歩いて体感できる場所です。
張保皐は若いころに唐へ渡り、軍人として名をあげました。しかし、唐の海賊が新羅の人々をさらって奴婢として売る現実を目にして帰国し、海賊を防ぐ基地を築かせてほしいと王に願い出ました。828年、新羅の興徳王がこれを受け入れ、張保皐を清海鎮大使に任命しました。
清海鎮は黄海と南海が出会う要所にあり、新羅と唐、日本を行き来する船が必ず通る場所でした。張保皐は1万人の兵で海賊を一掃するとともに、東アジアの海の貿易を掌握し、大きな富と勢力を築きました。しかし新羅の王位争いに巻き込まれ、朝廷が送った刺客閻長(ヨムジャン)に命を奪われました。資料によって、その年を846年とするものもあれば、異なる年を伝えるものもあります。清海鎮は851年に廃止され、住民は別の場所へ移されました。
長いあいだ島は畑として使われ、遺跡は地中に埋もれていました。1959年、台風サラが過ぎ去ったあと、島の周りの干潟から木の杭の列が現れたことで世に知られるようになりました。1984年に史跡に指定され、1991〜1996年の発掘調査を経て、今のような姿に整備されました。