莞島(ワンド)の本島のすぐ東にくっついている島で、橋がかかっているため、船に乗らずに車で入れます。島の南には、長さ3.8kmの砂浜、新智鳴沙十里(シンジ・ミョンサシムニ)が広がっていて、アジアで初めて国際的な環境配慮型ビーチ認証「ブルーフラッグ」を取得した海水浴場です。朝鮮後期の書家・李匡師(イ・グァンサ)が流刑生活を送り、生涯を閉じた島でもあります。
薪智島の面積は30.99㎢、島の長さは約13km、海岸線は48kmに及びます。最も高い上山(サンサン、324m)をはじめ、老鶴峰(ノハクポン、225m)、凡山(ポムサン)、旗仙峰(キソンボン)といった峰が、島の背骨をなしています。莞島と薪智島を結ぶ新智大橋が架かって(完成年は資料によって2004年または2005年)島の暮らしが大きく変わり、2017年には隣の高今島(コグムド)とつなぐ橋も開通しました。2021年時点の人口は3,300人余りです。もともとの名前は「智島(チド)」でしたが、新安(シナン)の智島と区別するために、薪(たきぎ)を意味する「薪」の字をつけた、という話が伝わっています。
新智鳴沙十里は、その名のとおり、きめ細かな砂が十里(約4km)近く続く海岸です。漢字では「鳴く」を意味する「鳴」の字を使っており、波や風によって砂が鳴くような音を立てるという意味が込められています。広い白砂の後ろには松林が続き、水が澄んでいて、アジア初のブルーフラッグ認証を受けて以来、毎年認証を維持しています。2026年の夏は、7月11日から8月17日までの38日間、海水浴場が運営され、カヤック、SUP、ラフティング、ヨットなどのマリンレジャー体験も行われました。
海水浴のシーズンでなくても、歩くのに向いた海岸です。引き潮のときには、締まった砂浜が広く現れて裸足で歩くのにぴったりで、海の向こうには小さな島々が幾重にも重なって見えます。
朝鮮時代、薪智島は罪人を送る流刑地でした。東国真体(トングクチンチェ)と呼ばれる韓国独自の書体の流れを完成させたと評価される圓嶠(ウォンギョ)李匡師(1705〜1777)は、咸鏡道(ハムギョンド)の会寧(フェリョン)で7年を過ごした後、薪智島に移されました。彼はここで、生涯研究した書道の理論をまとめた『書訣』(ソギョル)を著し、1777年に薪智島でこの世を去りました。海に面した小さな島で、朝鮮書道史上の重要な書物が書かれたという点が興味深いところです。