巨済島の東側、九助羅村の裏山には、朝鮮水軍が倭寇を防ぐために築いた九助羅鎮城があり、村から城までは竹林のあいだを抜けるセッパラムソリ道が続いています。空が見えないほどびっしり茂った竹のトンネルを抜けて丘に上ると、城壁の向こうに、九助羅海水浴場と内島・外島の海が一度に広がります。1時間あまりで、村と竹林、古い城、展望台をぐるりと一周できます。
九助羅鎮城は、朝鮮前期に倭寇を防ぐための前線の陣地として築かれた城です。**成宗21年(1490年)**に築かれたと伝わり、隣の知世浦城(チセポソン)の警備を受け持っていました。**宣祖37年(1604年)**に陣を玉浦(オクポ)へ移し、再びここに戻した記録もあります。城は、海岸からは見えにくい水晶山(スジョンサン)の北側の斜面の谷を選んで築かれました。
城の周囲は約860m、高さは約4mです。四方に城門を置き、門と門のあいだに城楼を建てましたが、いま城内は田畑になっていて、まんなかに井戸が残っています。1998年に慶南の記念物「九助羅城」に指定され、2018年に「巨済 九助羅鎮城」へと名称が変わりました。
九助羅(クジョラ)は「古い助羅」という意味です。昔の記録には、いまの玉浦の北にある助羅を「新助羅」、つまり「新しい助羅」と呼んだと出てきて、これに比べて、ここが「旧助羅(九助羅)」と呼ばれました。玉浦側は後に「新」の字が抜けて、ただの「助羅」になり、ここだけが「旧」の字をつけた名前を守ってきました。いまの城跡の保護区域は約32,939㎡です。
「セッパラム」は、船乗りの言葉で東から吹く風のことです。この風が竹林を揺らすときの音から、道の名前がつきました。