江陵の南、邱井面(クジョンミョン)の鶴山里の野原のまんなかに、高さ5.4mの石の柱が2本そびえ立っています。韓国で最も大きい幢竿支柱(旗竿を支える石柱)で、ここに旗を掲げていたお寺が、新羅末の禅宗を率いた崛山寺です。この寺に滞在した梵日国師は、いまも江陵端午祭で大関嶺(テグァルリョン)国師城隍神(守り神)として祀られていて、野原に残る石の遺跡が、江陵の人々のお祭りと信仰につながっています。
崛山寺は、新羅末の梵日国師(810〜889年)が闍崛山門(サクルサンムン)を開いたお寺です。闍崛山門は、新羅末に興った禅宗の九つの流派九山禅門のひとつで、嶺東はもちろん、嶺西や現在の慶尚北道一帯まで勢力を広げました。創建年は、資料によって847年または851年と異なります。高麗の時代に地方豪族の後援で栄えましたが、朝鮮初期以降は記録から姿を消し、そのころ廃寺になったとみられています。
寺跡は長いあいだ、田畑の下に埋もれていました。1936年の洪水で礎石が現れ、「崛山寺」の文字が刻まれた瓦が出土して、ここが崛山寺の跡だと明らかになりました。2002年に台風ルサで大きな被害を受けたあと、緊急発掘を行ったところ、寺の範囲は東西140m、南北250mにもおよび、法堂、僧房、回廊、塔の跡が確認されました。2003年に国の史跡になりました。
寺跡のそばには石泉(石の井戸)と鶴岩があります。1728年ごろに編まれた江陵の地誌『臨瀛誌』には、崛山のある娘が石泉で水を汲んだとき、ひょうたんの器の水に太陽が浮かんでいるのを見て、十三か月後に子どもを産んだという話が載っています。赤ん坊を鶴岩に捨てると、イノシシが乳を飲ませ、鶴が翼で包んでくれたので、連れ戻して育てた、その子が梵日国師だというのです。
江陵端午祭の主神である大関嶺国師城隍神が、まさに梵日国師です。端午祭の儀礼のなかには、大関嶺からお迎えした神を先頭にした行列が、梵日国師の故郷の鶴山村の城隍堂(ソンナンダン)に立ち寄って祭祀を行う順序もあります。江陵端午祭は2005年にユネスコ無形文化遺産になりました。
訪問前に最新情報をご確認ください。