鏡浦湖(キョンポホ)が今よりずっと広かった時代、この村の人々は船をつないで作った橋で湖を渡っていました。そこで村の名前は「ペダリ」(船橋)、漢字では「船橋」(ソンギョ)となり、ここに構えられた大きな家が船橋荘(ソンギョジャン)です。母屋、主人の居室棟(サランチェ)、別棟、亭まで、朝鮮時代の上流階級の住まいの構成をほぼすべて備えた99間(カン)の家屋で、300年以上にわたって同じ一族が代々暮らし続けています。
船橋荘は、世宗(セジョン)の兄・孝寧大君(ヒョリョンデグン)の11代目の子孫である李内蕃(イ・ネボン)が最初に建てました。彼がイタチの群れを追ううちに、この吉相の地を見つけたという話が伝わっています。いちばん古い母屋は18世紀初めに建てられたもので、資料によって1700年以前、あるいは1703年とされています。その後、10代にわたって建物を一棟ずつ増やし、今の姿になりました。
1815年に主人の居室棟である悦話堂(ヨルファダン)が、翌1816年には池の上の亭活来亭(ファルレジョン)が建てられました。金剛山(クムガンサン)や関東八景(クァンドンパルギョン)を訪ねて旅に出た詩人や文人たちがここに泊まり、行廊棟(ヘンニャンチェ)はそうした客人たちの宿として使われました。1908年には穀物倉庫を改装して、新しい学問を教える東進学校を開き、独立運動家の呂運亨(ヨ・ウニョン)がここで英語を教えました。学校はその後、日本の統治下で閉鎖されました。船橋荘は1967年に国家民俗文化遺産に指定されました。
活来亭:門の外の池に石の柱を立て、床を水の上にせり出させたL字形の亭です。清らかな水が絶えず流れ込むという意味の名のとおり、夏になると蓮の葉が亭の下いっぱいに広がります。
悦話堂:一族の男性の当主が過ごした大きな居室棟です。親戚が仲睦まじく語り合い、喜んで暮らそうという意味が込められていて、陶淵明(とうえんめい)の詩から名前をとったといわれています。
母屋と東別棟・西別棟:母屋は女主人の空間、東別棟は宴会や客のもてなし、西別棟は書庫兼勉強部屋として使われました。
長い行廊棟:家の前をぐるりと長く囲む行廊棟が、船橋荘の規模をもっともよく伝えてくれます。
船橋荘博物館と生活遺物展示館:一族が代々使ってきた家財道具や遺物を見ることができます。
草亭(チョジョン)と虹霓軒(ホンイェホン):悦話堂の裏庭にある茅葺きの亭草亭は、先祖たちが小作人の苦労を分かち合おうとしたという話が伝わる場所です。虹霓軒は、訪れた詩人や文人、分家前の家族が泊まった建物です。
踏み臼小屋と青龍の道(チョンニョンギル):庭の一角にある踏み臼小屋で昔の暮らしを垣間見ることができ、家の裏の低い山をぐるりと回る遊歩道青龍の道も歩いてみられます。
祠堂(サダン)や外別棟など、今も子孫が生活していたり祭祀を行ったりしている空間には入れません。建物保護のため敷地内はすべて禁煙で、盲導犬などの介助犬を除いてペットの立ち入りはできません。一部の建物は韓屋の宿泊施設として運営されています。