江陵の烏竹軒(オジュッコン)は、申師任堂(シン・サイムダン、1504〜1551)と、その息子の栗谷 李珥(ユルゴク・イ・イ、1536〜1584)が生まれた家です。朝鮮前期の住宅のなかでも古い建物とされて1963年に宝物に指定され、栗谷が生まれた部屋「夢龍室」が今も残っています。5,000ウォン札に描かれているまさにその家なので、財布の中の絵と実物を見比べてみる楽しみもあります。
烏竹軒は朝鮮初めの文臣・崔致雲(チェ・チウン)が建て、その後、崔応賢(チェ・ウンヒョン)の家になりました。崔応賢は次女の婿の李思温(イ・サオン)に家を譲り、さらに李思温の娘である龍仁李氏(ヨンインイシ)に受け継がれました。龍仁李氏は、申師任堂の母です。彼女は財産を分けるとき、外孫の栗谷には、先祖の祭祀を任せるとしてソウルの瓦屋根の家を、もうひとりの外孫の権処均(クォン・チョギュン)には、墓所を守るようにとこの家を与えました。権処均は、家の周りに黒竹「烏竹」が茂っているのを見て、自分の号を烏竹軒と付け、これが家の名前になりました。
1788年、正祖(チョンジョ)は、栗谷が書いた『撃蒙要訣』(キョンモンヨギョル)と、幼いころに使っていた硯を保管させるため、「御製閣」を建てさせました。1975年の整備事業で今の姿が整い、1998年に江陵市立博物館と合併しました。
烏竹軒は、長いあいだ5,000ウォン札の裏面を飾り、今の5,000ウォン札の表面にも、栗谷の肖像の隣に夢龍室が描かれています。本棟の脇の黒竹の前を通りながら、紙幣を取り出して見比べる来館者が多くいます。