慶州の月城(ウォルソン)と南川(ナムチョン)の間、瓦屋根の家が低く連なる韓屋の村です。校村村は、新羅の国立教育機関があった場所に郷校(ヒャンギョ)が受け継がれてきた村で、名前も「郷校のある村」という意味です。慶州・崔富者家(チェブジャテク)の古民家と慶州郷校、伝統酒の校洞法酒(キョドンポプチュ)がここにあり、復元された月精橋(ウォルジョンギョ)とすぐ隣り合っています。
この場所には、新羅の神文王2年の682年、新羅初の国立教育機関国学が建てられたと伝わります。国学は高麗時代の郷学、朝鮮時代の郷校へと受け継がれ、そのため村の名前も校洞、校村、校里と呼ばれました。元暁大師と瑤石公主の話にからむ瑤石宮(ヨソックン)も、この近くにあったと伝えられています。
村の周辺には、『三国遺事』にまつわる話があふれています。金閼智が生まれたという鶏林、元暁と瑤石公主を結びつけた蚊川橋(ムンチョンギョ)の跡、金庾信(キム・ユシン)が暮らした財買井(チェメジョン)、そして月精橋と瞻星台が南川に沿って続きます。新羅の遺跡のど真ん中に、朝鮮時代の両班(ヤンバン)の村が位置しているわけです。
崔富者家は、慶州崔氏の一族が9代にわたって暮らしてきた家です。指定当時の名前は「慶州崔植氏の家」でしたが、校洞の崔富者の家として広く知られていたため、2007年1月に現在の名前に変わりました。門棟には小部屋と大きな蔵が置かれ、舎廊棟跡の裏の母屋は開いたロ字形ですが、実際の本体はコ字形です。母屋の北西に別に置かれた家廟へ、南から真っすぐ続く道が印象的で、母屋の裏手には花畑があります。朝鮮時代の両班の家の原形をおおむねよく保っていて、重要な資料と評価されています。
村の周囲には、真智王(チンジワン)と桃花女(トファニョ)、忠談師(チュンダムサ)の話のように、『三国遺事』に出てくる場面の舞台があちこちにあります。校村村は、新たに復元・整備されたことで、文化遺産の原形を守りつつ、観光客が滞在しながら見て回りやすい場所に変わりました。
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