瞻星台(チョムソンデ)の南へ歩いていくと、森におおわれた細長い丘が行く手をさえぎります。ふつうの丘のように見えますが、ここが千年近く新羅の王が暮らした月城(ウォルソン)です。宮殿の建物はすべて失われましたが、城壁の土手、堀、地中から少しずつ姿を現す遺構が、新羅の都の中心を伝えてくれます。
城の形が三日月のように弧を描いていることから新月城または半月城と呼ばれ、王がいらっしゃる城という意味で在城とも呼ばれました。「半月城」という名は、朝鮮時代から広く使われました。「月城」という言葉自体が、鶏林(ケリム)と同じく「鶏」を意味する古い韓国語を漢字で表したものだという見解もあります。
『三国史記』には、婆娑王22年の101年に城を築き、都をここに移したと記されています。ところが近年の発掘調査では、城壁を4世紀中ごろに築き始め、5世紀初めに完成させたことが確認され、記録とは250年近い開きがあります。文武王の時代には、東宮と月池(トングンウォルチ)、瞻星台一帯まで宮殿の区域が広がったといいます。1963年に国の史跡に指定され、ユネスコ世界遺産慶州歴史遺跡地区に含まれています。
城を築く前、この丘には瓠公(ホゴン)という人物が住んでいたといいます。幼い昔脱解(ソク・タレ)が知恵を働かせてこの土地を手に入れ、その話を聞いた南解王が彼を婿に迎え、脱解はのちに新羅第4代の王になったと伝わります。