瞻星台(チョムソンデ)と月城(ウォルソン)の間、エノキやケヤキが生い茂る小さな森が鶏林(ケリム)です。慶州金氏の始祖金閼智(キム・アルジ)が、金色の櫃(ひつ)の中から見つかったという物語が宿る場所で、かつては新羅という国を指す名前にまで使われました。慶州市内の遺跡を歩いて回っていると自然に通ることになる森なので、少し立ち止まって物語を知ってから見ると、ぐっと楽しくなります。
伝説によると、脱解王(タレワン)の時代、王が都城の西の森でニワトリの鳴く声を聞いて人を遣わせたところ、木の枝に金の小さな櫃が掛かっていて、その下で白いニワトリが鳴いていたといいます。櫃を開けると男の子が出てきて、王は子に「閼智」という名前と、金の櫃から出てきたという意味の金(キム)氏の姓を与えました。もとは始林(シリム)と呼ばれていた森は、このときから鶏林、すなわち「ニワトリの森」になったと伝えられています。
この出来事の年は記録によって違います。『三国史記』は65年、『三国遺事』は60年のことと記し、発見したのも王自身か、臣下の瓠公(ホゴン)かが少しずつ異なります。閼智は太子になりましたが、王位は朴氏の婆娑王(パサワン)に渡り、その7代孫の味鄒王(ミチュワン)が初めて金氏の王になりました。奈勿王(ネムルワン)以降は新羅の終わりまで金氏が王位を継いだため、鶏林は金氏王室の出発点とされてきました。
朝鮮時代にもこの物語は愛されました。画家の趙涑(チョ・ソク)は1656年、森の枝に掛かった金の櫃とその下の白いニワトリを描いた「金櫃図」を残しています。今の森に立って古木を見上げると、絵の中の場面が自然に重なって見えてきます。
「鶏林」は森の名を超えて、新羅の別名としても使われました。唐は663年に新羅の地に「鶏林都督府」を置き、新羅の学者・金大問(キム・デムン)は新羅の話を集めた本に『鶏林雑伝』と名づけました。12世紀に中国で高麗の言葉を記録した本のタイトルも『鶏林類事』です。それほどこの森は、朝鮮半島を指す象徴のような名前でした。
名前のルーツをめぐっては、学者の間でもさまざまな解釈があります。「ニワトリ(タク)」を古語の「タル」や「セ」と結びつけ、月城(ウォルソン)や徐羅伐(ソラボル)のような新羅の古い地名と同じ言葉に由来するとみる見解もあります。伝説の「ニワトリの森」は、実は新羅の都を呼んでいた古い言葉だったのかもしれない、という話です。
鶏林は1963年に史跡に指定され、瞻星台・月城とともにユネスコ世界遺産の慶州歴史遺跡地区に含まれています。