江華島(カンファド)の北西にある喬桐島(キョドンド)の喬桐邑城は、かつて京畿・黄海・忠清の三道の水軍を指揮した三道水軍統御営の本営を囲んでいた城です。今は周囲430mの小さな城跡に、虹の形をした石の門がひとつだけ昔の姿で残っていますが、その虹霓石(こうげいせき)に「三道通門」という文字が刻まれていて、この島がどれほど重要な海路の要衝だったかを教えてくれます。2018年には、崩れていた南門の門楼が再び建てられました。
1627年の丁卯胡乱を経験した朝鮮は、江華島の防御を強化するため、1629年(仁祖7年)に南陽(ナミャン)の華梁(ファリャン)にあった京畿水営を喬桐へ移しました。喬桐邑城は、このとき水営を守るために築かれたものと見られます。喬桐県は都護府に昇格し、京畿水使が喬桐府使を兼ねました。1633年には、京畿水営が三道水軍統御営に大きくなり、喬桐邑城がその本営になりました。
城は、華蓋山(ファゲサン)から伸びる尾根の先に、北西から南東へ長い楕円形に築かれました。周囲430m、高さ約6m、面積は約5,958㎡で、邑城のなかでは小さいほうです。東門の統三楼(トンサムヌ)、南門の庾亮楼(ユリャンヌ)、北門の拱北楼(コンブンヌ)の3つの門にはすべて甕城(おうじょう)が設けられ、城内には客舎や官衙、倉庫、安海楼(アネル)などの楼閣がありました。
1753年(英祖29年)に城壁と女墻(ひめがき)が積み直され、1884年(高宗21年)に南門が建て直されました。東門と北門がいつ消えたのかは分かりません。南門の門楼は1921年の大きな暴風雨で崩れて虹霓門だけが残り、1975年に南門と周辺の城壁が補修されました。2018年には、南門の石積みの上に、正面3間、側面2間の規模で門楼が復元されました。
2019年の試掘調査では、南門の東側の地下約2mから、大きな自然石で積まれたもともとの城壁が、基壇を含めて4段確認されました。南門の前にあったと推測された甕城の痕跡は出てきませんでした。