江華島の仙源面(ソヌォンミョン)の低い山すそに、石垣だけが段々に残る広い寺の跡があります。江華 仙源寺跡は、高麗がモンゴルの侵攻を避けて江華島に都を移していた時期に建てられた大きな寺の跡と伝えられ、八万大蔵経にまつわる話で長く注目されてきました。今は建物ひとつない草地ですが、その空き地が、かえって高麗史の謎を思い起こさせます。
高麗は1232年にモンゴルの侵攻に立ち向かうため江華島に都を移し、1270年に開京へ戻るまでここを首都としました。仙源寺は、この時期の高麗の高宗32年(1245年)に、武臣政権の実権者崔瑀(チェ・ウ)が建てた寺と伝えられています。初代住職は真明国師で、その後、円悟国師、慈悟国師といった高僧が続きました。朝鮮初期に寺がなくなってからは跡だけが残り、1976年に東国大学校の江華島学術調査団の地表調査で再確認され、翌1977年に史跡に指定されました。
『朝鮮王朝実録』には、朝鮮の太祖の時代に、江華の禅源寺にあった大蔵経の版木を移したという記録があります。そのため、この寺跡が八万大蔵経を彫り、保管した場所だという話が広まりました。しかし、1996年から2001年までの4回の発掘でも、大蔵経を彫った寺だという考古学的な証拠は出てきませんでした。さらに、記録に出てくる寺の名前は「禪源寺」ですが、この史跡の名前は「仙源寺」で、漢字が異なります。国家遺産庁も、この点については長期の研究がさらに必要だとみています。