昔の城の多くは山や川を背にしていますが、海美邑城は低い丘と広い平地を取り込み、卵形に築かれています。城門をくぐると、開けた芝生の上に官衙の建物と古木がぽつりぽつりと立ち、城壁の上を一周しながら城の内外を見渡せます。朝鮮時代には忠清道の軍事拠点であり、朝鮮後期にはカトリック信者迫害の現場となりました。1963年に史跡に指定されています。
高麗末から倭寇がたびたび沿岸を襲うと、朝鮮は徳山(トクサン)にあった忠清兵馬都節制使営をここに移すことにし、1417年(太宗17年)から1421年(世宗3年)にかけて城を築きました。ただし築城時期を1491年(成宗22年)とする資料もあり、史料によって異なります。兵馬節度使営が1652年に清州(チョンジュ)へ移ったあとは海美県の官衙が入り、1914年まで内浦(ネポ)地方の軍事権を担いました。若き日の李舜臣(イ・スンシン)は1579年、忠清兵馬節度使の軍官として赴任し、ここで10か月間勤務しました。
朝鮮後期のカトリック迫害の際、海美鎮営は内浦地域の信者を捕らえ、ここで処刑しました。その数は1,000人を超えると伝えられています。2014年8月にはフランシスコ教皇が海美を訪れ、海美邑城でアジア青年大会の閉幕ミサを執り行いました。