修徳寺(スドクサ)は、忠清南道・礼山(イェサン)の徳崇山(トクスンサン)の中腹にあるお寺で、1308年に建てられた大雄殿が、今もそのまま立っています。建立年が記録で確認できる木造建築のなかでも屈指の古さを誇り、高麗の建築を直接見たいなら、ぜひ立ち寄りたい場所です。近代韓国の禅仏教を再興した僧たちの修行の場でもあります。
創建の記録ははっきりしませんが、百済・武王2年の601年に慧現(ヘヒョン)和尚が修徳寺で法華経を講義したという記録があり、それ以前に建てられたと考えられています。文献に名が伝わる百済の寺12か所のうち、現在まで残るのは修徳寺だけで、境内からは百済の瓦の破片も出土しました。大雄殿は、1937年の解体修理の際に見つかった墨書銘により、高麗・忠烈王34年、つまり1308年に建てられたことが分かりました。19世紀末には鏡虚(キョンホ)和尚がここに滞在し、途絶えていた禅修行の系譜を復活させ、弟子の満空(マンゴン)和尚が寺を再興して多くの弟子を育てました。現在は曹渓宗の徳崇叢林であり、忠南地域の末寺36か所を統括する第7教区の本寺です。
修徳という若者が徳崇という娘に惚れて求婚すると、娘は寺を建ててほしいという条件を出しました。欲を捨てて3度目に建てた寺が完成しましたが、若者が娘をつかまえた瞬間、娘は足袋(ポソン)を片方だけ残して岩の中に消えたといいます。娘は観世音菩薩の化身で、寺と山の名は二人に由来するという話です。
鏡虚和尚の弟子たちは各地に散らばって、禅修行の系譜を広げました。慧月(ヘウォル)和尚は釜山へ下り、漢岩(ハナム)和尚は五台山の月精寺(ウォルジョンサ)に移って、もうひとつの法脈をつくりました。修徳寺に残った満空和尚は、晩年を徳崇山の頂上に近い転月寺(チョヌォルサ)で過ごしたといわれ、「世界一花」と刻まれた浮屠塔は、国の登録文化遺産です。山の上の定慧寺には、今も僧侶が暮らして坐禅をしています。
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