漢灘江(ハンタンガン)が大きく曲がって巡る場所に深い淵ができ、その水の上に、高さ13mの白い花崗岩の岩がそびえています。岩の形が稲束を積み上げた稲むらのようだとして「稲むらの淵」、漢字に移して禾積淵(ファジョギョン)と呼ばれています。朝鮮時代には雨乞いの祭祀を行う場所で、謙斎・鄭敾(チョン・ソン)が絵に描いた景色でもあります。2013年1月4日に国の名勝に指定されました。
禾積淵が興味深いのは、まったく異なる二つの岩石がひとつの景色に収まっている点です。底には中生代にできた大宝花崗岩が敷かれており、その上を、新生代第四紀に北の平康(ピョンガン)の五里山(オリサン)から流れてきた溶岩が固まった玄武岩層が覆っています。溶岩が昔の漢灘江の谷を埋めて広い溶岩台地をつくり、川はその上に再び道をつくりながら花崗岩まで削り下りました。漢灘江の流れが長い歳月をかけてこの層を削ったことで、明るい色の花崗岩の岩と、濃い色の玄武岩の断崖、玄武岩の柱状節理が並んで現れました。流れが曲がって速度が落ちる場所には、上流から運ばれた砂と砂利が積もって広い砂州ができ、下流側は削られ続けて断崖になりました。こうした地形上の価値のおかげで、禾積淵は2020年にユネスコ世界ジオパークに認定された漢灘江世界ジオパークの地質名所として管理されています。漢灘江の峡谷の大部分が玄武岩の断崖であるのとは違い、ここでは抱川(ポチョン)地域を代表する岩石である花崗岩を間近で観察できます。
昔からこの淵は、日照りでも干上がらないとされ、雨乞いの祭祀を行う場所でした。その記録は『朝鮮王朝実録』にも残っています。日照りに嘆く農民を見て、龍が天に昇り雨を降らせたという伝説も伝わります。謙斎・鄭敾は1747年、金剛山へ向かう旅を描いた画帖『海嶽伝神帖(ヘアクチョンシンチョプ)』(宝物)に禾積淵を描き入れ、朴淳(パク・スン)、朴世堂(パク・セダン)、洪良浩(ホン・ヤンホ)、李恒老(イ・ハンノ)らの文人がここを訪れて、詩や文章を残しました。勉庵・崔益鉉(チェ・イクヒョン)は、稲むら岩を龍にたとえて詠みました。