益山 弥勒寺址は、百済の武王の時代に建てられた百済最大の寺院跡で、韓国に残る最も古く最大の石塔、弥勒寺址石塔が立つ場所です。いまは広い芝生に石塔と建物の跡だけが残っていますが、塔2基と木塔の跡が一列に並ぶ配置から、かつての規模をうかがえます。2015年に「百済歴史遺跡地区」の一つとして、ユネスコ世界遺産に登録されました。
『三国遺事』によると、武王(在位600〜641)と王妃が龍華山(ヨンファサン)のふもとの大きな池で弥勒三尊が現れるのを見て、池を埋めてお寺を建てたと伝えられています。長いあいだ、この王妃は説話に登場する新羅の善花公主として知られてきました。しかし2009年1月、石塔を解体する途中で見つかった金製舎利奉安記には、佐平・沙宅積徳の娘である百済の王后が財を投じてお寺を建て、639年に舎利を納めたと記されていました。この発見により、弥勒寺の創建物語は書き換えられることになりました。
西塔は17世紀以前にすでに一部が崩れていたという記録があり、日本統治期には崩れた部分にコンクリートを塗り重ねて補強しました。1998年から解体と修理が始まり、20年以上の作業を経て、コンクリートを取り除いて積み直された塔が2019年に公開されました。
舎利奉安記は、表裏の両面に漢字を刻んだ金の板で、文字の中を赤い漆(朱漆)で埋めています。朱漆は重要な品にだけ使われた技法です。文面には、王后が己亥年の正月29日に舎利をお迎えして安置し、大王の長寿と国の安泰を祈ったと記されており、この日付が639年にあたります。百済の人が直接残した創建の記録であることから、歴史学界に大きな反響を呼びました。
お寺の真ん中にはもともと9層の木塔があったとされ、百済の匠**阿非知(アビジ)**の作品だったという話も伝わっています。新羅の真平王が工事を手伝うために匠を送ったという記録もあります。お寺は百済が滅びたあとも長く続きました。高麗時代の922年に慧居国師が塔を開いたという記録があり、寺跡から出た瓦には980年、1267年、1317年、1330年といった年代が記されています。16世紀の文献にも、石塔は「東方最大」と紹介されています。
寺跡の隣の博物館は、1997年に弥勒寺址遺物展示館として開館し、国立機関に変わったあと、2020年1月に新しい建物を建てて国立益山博物館として再オープンしました。
弥勒寺址は、標高約430mの弥勒山(ミルクサン)の南麓に広がる平地にあります。2015年7月、ドイツのボンで開かれた世界遺産委員会で、公州(コンジュ)の公山城(コンサンソン)と宋山里古墳群、扶余(プヨ)の官北里遺跡と扶蘇山城(プソサンソン)・陵山里古墳群・定林寺址(チョンニムサジ)・羅城、益山の王宮里遺跡とともに、「百済歴史遺跡地区」の8か所のうちの一つとして登録されました。
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