安東(アンドン)市街から南東へずいぶん奥に入った吉安面(キランミョン)黙渓里(ムッケリ)には、書院と宗家(本家)が一つの村にともに残っています。清廉な官吏として名高い**宝白堂・金係行(キム・ゲヘン)と凝溪(ウンゲ)・玉沽(オク・ゴ)を祀る黙渓書院と、金係行の子孫が受け継いできた安東金氏の黙渓宗宅です。近くの渓谷には、金係行が晩年を過ごした東屋晩休亭(マンヒュジョン)**があり、あわせて見て回るのにぴったりです。
金係行(1431〜1517)は朝鮮前期の文臣で、清白吏(チョンベンニ、清廉な官吏)として名高い人物です。「わが家に宝はない。宝があるとすれば、ただ清らかさだけだ」という教えを残し、彼の号「宝白堂」もここから来ています。玉沽(1382〜1436)は朝鮮初期の文臣です。
黙渓書院は、地域の儒林が二人をたたえるために建てた書院です。創建の年は、資料によって1687年または1706年とされています。1869年、興宣大院君の書院撤廃令で祠堂が取り壊されて講堂だけが残りましたが、最近、祠堂と建物を再建し、現在の姿を取り戻しました。1980年に黙渓宗宅とともに慶尚北道民俗文化遺産に指定されました。
近くの晩休亭は、金係行が晩年に読書と思索のために、渓谷の上に建てた東屋です。東屋の下の広い岩には「寶白堂晩休亭泉石」という大きな文字が刻まれており、1770年に子孫の金徳一(キム・ドギル)が建て直しました。書院と宗宅、東屋をあわせて見れば、ひとりの人物の生涯と、その子孫たちが守ってきた空間を一度に見られます。
2025年3月、義城(ウィソン)から燃え広がった大規模な山火事が吉安面にもおよび、黙渓里周辺の山が大きく焼けました。一時は書院と晩休亭が焼けたというニュースが出回りましたが、書院は被害を受けず、晩休亭も防炎シートをかぶせたおかげで難を逃れました。周辺の山の斜面には、いまも山火事の痕跡が残っています。