慶州(キョンジュ)南山(ナムサン)の東のふもと、村の中に、蓮の葉に覆われたこぢんまりとした池があります。名前は「書(手紙)が出た池」という意味の書出池(ソチュルジ)。新羅の炤知王(ソジワン)が、この池から出てきた一通の手紙のおかげで命拾いしたという話が、『三国遺事』に記されています。夏になると、池のほとりの百日紅(さるすべり)が薄紅色の花を咲かせ、朝鮮時代の東屋二楽堂(イヨクタン)が水面に映って、慶州でも指折りの夏景色になります。
『三国遺事』の炤知王の条に伝わる話です。488年の旧暦1月15日(正月の満月の日)、炤知王が南山のふもとにある天泉亭(チョンチョンジョン)へ行幸すると、カラスとネズミが現れました。ネズミが人の言葉でカラスについて行くようにと言ったので、王は家臣に後を追わせました。家臣はこの池のほとりで、二匹の豚が戦うのに気を取られてカラスを見失ってしまいましたが、そのとき池の中から老人が現れ、封書を一通手渡しました。封書には「射琴匣(サグムガプ)、つまり琴の箱を射よ」と書かれていました。王が宮殿に戻って琴の箱を弓で射ると、中に隠れて謀反をたくらんでいた僧侶が死に、王妃も罰せられたといいます。
この出来事から池は書出池と呼ばれるようになり、正月の満月の日をカラスをたたえる烏忌日(オギイル)として、おこわを炊いてカラスに与える風習が生まれたと伝えられています。小正月に薬飯(ヤクパプ)を食べる習慣の由来としても、よく紹介される話です。