慶州市街の東、低い狼山(ナンサン)のふもとの松林の中に、新羅初の女王が眠っています。善徳女王陵は、主がはっきり分かっている数少ない新羅の王陵のひとつで、瞻星台(チョムソンデ)と皇龍寺九層木塔を残した王の墓です。曲がりくねった松の間を歩いて登る道が静かで、大陵苑のにぎわいとはまったく違う慶州に出会えます。
善徳女王は、新羅の第27代の王で、632年から647年まで治めました。息子のいなかった真平王(チンピョンワン)の娘で、聖骨だけが王位につけた新羅の独特な身分秩序のおかげで、女性として王になりました。在位中に芬皇寺(プンファンサ)を建て、瞻星台を築き、慶州の真ん中にそびえた皇龍寺九層木塔もこのときにつくられました。金庾信、金春秋とともに、のちの三国統一の土台を固めた王と評価されていますが、晩年には反乱が起きるなど、国の内外が落ち着かない時期でした。
この墓には、よく知られた話が伝わっています。女王は、死んだら仏教でいう天上の世界忉利天(トリチョン)に葬ってほしいと言い、臣下たちがそれはどこかと尋ねると、狼山の頂上だと教えたといいます。そのときは、誰もその意味が分かりませんでした。ところが数十年後、文武王が三国を統一して、墓の下のほうに四天王寺を建てると、人々は膝を打ちました。仏教の世界観では、忉利天は四天王天の上にある天なので、四天王寺の上にある女王の墓が、そのまま忉利天になったわけです。狼山は早くも413年(実聖王12年)から神聖な場所として守られ、7世紀以降は仏教の聖なる山として定着しました。