慶州の五陵(オルン)から南東へ1kmほど、松林に囲まれた芝生の広場が蘿井(ナジョン)です。新羅を建国した朴赫居世が卵から生まれたと伝わる井戸のあった場所で、長いあいだ伝説の場所としか考えられていませんでした。ところが2000年代の発掘で、実際の井戸の跡と大きな八角形の建物跡が見つかり、新羅がここを国の始まりを称える神聖な場所として祀っていたことがわかりました。
新羅が建国される前、慶州一帯は6人の村長が分けて治めていたといわれます。ある日、高墟村(コホクチョン)の村長・蘇伐都利公(ソボルトリ)が、楊山(ヤンサン)の麓の井戸のそばで、白い馬がひざまずいて鳴いているのを見て近づいてみると、大きな卵がありました。卵から男の子が生まれると、天が遣わした子として育て、瓢箪(パク)のような卵から出てきたことから姓を朴、世の中を明るくするという意味で名を赫居世としました。子どもは13歳になった紀元前57年に王位に就き、国号を徐羅伐(ソラボル)としました。
2002年に碑閣を囲んでいた塀が崩れたことをきっかけに発掘が始まり、2005年まで4回の調査が続きました。その結果、長さ4.3m、幅2.5mの楕円形の井戸跡と、その周りを囲む溝、木の柵の跡が見つかりました。紀元前後ごろには井戸を神聖な場所として守り、500年前後には井戸を埋めて、その上に一辺約8m、直径約20mの八角形の建物を建てたことが確認されました。これは、487年に奈乙(ナウル)に神宮を建てたという記録と一致します。679年に建て直された痕跡を示す瓦も出土しました。
発掘では、「生」の字が刻まれた瓦が90点あまり出土しました。そこで、この井戸を「生まれた井戸」、つまり始祖が生まれた井戸と呼び、記録に出てくる「奈乙」はその音を漢字で写したものだという見方があります。一方で、「ナ」は国の中心となる町を、「ウル」は古い新羅の言葉で井戸を意味し、奈乙・蘿井が「国の井戸」という意味だという解釈もあります。どちらにしても、ここが新羅の人々にとって国の出発点と考えられていたという点は同じです。
蘿井は1975年に史跡に指定されました。歩いて行ける距離に、朴赫居世と王妃などが葬られていると伝わる五陵や、新羅の王たちが宴を催したという鮑石亭址(ポソクジョンジ)があり、南山西麓の新羅遺跡をひとつにつなげて歩くのにぴったりです。周辺には、昌林寺址(チャンニムサジ)など新羅王京の遺跡も点在しています。